舞妓とは?

■舞妓文化の成り立ち

舞妓は、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添える仕事です。15歳~20歳ごろまでの少女が中心で、「置屋(おきや)」と呼ばれるお店に所属し、お客の要望に応じて「お茶屋」へと出かけます。お茶屋には多数のお座敷があり、お客は舞妓の芸やお酒・料理を堪能しつつ、遊興の一時をすごすのです。

舞妓のルーツは、今からおよそ300年前の江戸時代にまで遡ります。当時、京都の北野天満宮や八坂神社の門前町では、神社仏閣の参拝客や旅人が立ち寄る「水茶屋」が繁盛していました。最初は名前通りお茶や団子を振る舞うだけでしたが、やがてお酒や料理も提供するようになり、お店で働く「茶汲女」「茶点女」が舞や歌、三味線を披露するようになります。これがだんだんと体系化され、独特のしきたりを持つ舞妓・芸妓になっていったのです。

■舞妓と芸妓の違い

舞妓とよく似た言葉としては「芸妓(げいこ)」があります。この2つの違いがよくわからない方も多いのではないでしょうか。実は、舞妓は芸妓の修行期間のことで、5~6年かけて舞や三味線、お囃子などを学びます。そして、十分に修練を積んだ後、ちょうど成人を迎えるころに芸妓になれるのです。置屋に所属する点はどちらも変わりません。

実際のお座敷では、舞を担当する「立方(たちかた)」と、歌や三味線を担当する「地方(じかた)」の二役が必要です。舞妓は修練が浅いため、多くの場合は立方を担当し、経験豊富な芸妓が地方を担当します。服装にも違いがあり、舞妓は長く垂れ下げた「だらり帯」や「割れしのぶ」「おふく」といった髪型、華やかな着物など可愛らしさが特徴。一方、芸妓はもう少し大人っぽい装いになるのです。

■芸舞妓と遊女の違い

芸舞妓と遊女(花魁)はどちらも接客を生業にしていますが、本質的に異なっています。芸舞妓は唄や三味線、踊り、話芸などの芸事を売りとすることに対し、遊女は自身の体を売り、男性客に性的なサービスを行うことが売りでした。現代的な言葉に置き換えるといわゆる高級風俗嬢にあたるため、左褄を取る(「芸は売っても身は売らぬ」という芸妓の意思表示)プライドの高い芸妓(芸者)の方が格上に思われがちですが、大阪の新町、京都の島原、そして江戸の吉原と遊郭が栄えた江戸時代では、遊女の方が格上だったと言われています。

■舞妓・芸妓・芸者の使い分けについて

舞妓とは、京都の花街限定での呼び方になります。東京をはじめとする関東地方では、舞妓に相当する修行期間を「半玉(はんぎょく)」と呼び、芸妓に相当する仕事を「芸者」と呼んでいます。他にも、一部の地域で京都と同じような呼び方をする場合がありますが、舞妓・芸妓という呼び名は京都特有のものと考えていいでしょう。

■舞妓になる流れと芸妓への成長

かつて、芸舞妓になろうとする女性は、早ければ9歳ごろから修行を始めていました。現在では、中学生以上でなければ修行ができないため、15歳ごろから置屋に所属するのが一般的です。

修行を始めると、まずは「仕込み」という期間に入ります。仕込みは、舞妓になるための基礎教養を身につける期間で、芸はもちろん京言葉や行儀作法なども習得しなければなりません。また、この期間中に指導を担当するお姉さん芸妓が決まり、実の姉妹のように面倒を見てくれます。仕込み期間は半年~1年ほどです。

ある程度の教養が身につくと、お姉さん芸妓の指導の元、「見習い」としてお座敷へ出ます。ここでさらに接待の技術や作法を学び、「見世出し」というお披露目を行って、ようやく舞妓としてデビューできるのです。よく知られている白塗りの厚化粧もここから始まります。ちなみに、1年目の舞妓は紅を下唇にしか付けません(街にもよる)。

ふく那さんの「見世出し」
「見世出し」の1ヶ月前限定の「半だら」帯。

もちろん、修行は舞妓になってからが本番です。花街や置屋ごとに違いはありますが、主に午前中は芸事の修練を行い、夕方からはお座敷に出るという日々を繰り返すことになります。また、手が荒れてしまうのを防ぐため、掃除・洗濯・皿洗いなどの水仕事は一切行いません。女性としての魅力を磨いたり、世間の事情に詳しくなったりといった努力も必要です。

■芸妓としての生活

このような修練を5年間ほど続け、1人前になったと見なされた段階で、ついに芸妓となります。この際に行われるのが「衿替え(えりかえ)」という儀式で、舞妓時代の赤い衿を白い衿に交換し、芸妓の証拠とするのです。前述したように、髪型や服装も修行が進むにつれて変化していくため、一定ではありません。

「襟替え」直前の着物と「先笄(さっこう)」という髪型

芸妓になったとしても、年齢はほんの20歳前後。人生はむしろこれからが花で、多くのお座敷に呼ばれて活躍することになります。また、自分がお姉さん芸妓に導いてもらったように、後輩の指導も行わなければなりません。そして年月を経るにつれ、接客や芸事の技術も習熟を極め、誰からも尊敬され愛される芸妓となるのです。

■芸舞妓の人数

お座敷遊びをする時はお茶屋へ行きますが、お茶屋が集まっている街が「花街(かがい、はなまち)」です。現在京都にある花街は、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つで、これらを総称して「五花街」と呼んでいます。もう1ヶ所、嶋原という花街もありますが、こちらにいるのは舞妓ではなく太夫(たゆう)です。

最盛期には、京都全体で1,000人を超える舞妓・芸妓がいたといわれています。しかし、その数は年々減り続け、現在は約300人程度です。観光客の増加に伴い、芸舞妓がお座敷に呼ばれる機会も多くなっていますが、厳しい修行に耐えられず脱落する人も多く、芸舞妓の人数は簡単には増えません。今後の人材育成に期待がかかります。

なお、京都の街中で見かける舞妓の格好をした人は、ほとんどの場合「舞妓変身」を体験中の観光客です。本物の芸舞妓を街中で見かける機会は非常に少なく、観光客がイメージするほど芸舞妓の数は多くありません。

■芸舞妓の持ち物

舞妓の装いを見ていると、箱のようなものを持っていることに気がつくでしょう。これは「花かご」や「お座敷かご」と呼ばれ、お座敷で必要なものを入れておくバッグのようなものです。竹かごと巾着を組み合わせて作られており、季節に合わせて生地の素材やデザインも変えられます。

お座敷かごの中身は、化粧道具や櫛、懐紙、手ぬぐい、舞扇、足袋入れ、花名刺などです。いずれもお座敷の必須アイテムであり、京都には芸舞妓向けの道具・雑貨を扱う専門店も存在します。もちろん、一般の方が購入しても構いませんから、舞妓の使う道具を手にとって見てください。

■舞妓になるには?

舞妓になるには、まず置屋に所属する必要があります。置屋とは芸能界でいうプロダクションにあたり、舞妓は置屋に所属することで芸を学ぶことができます。かつては特有のコネやつてを頼りに置屋を紹介してもらうという限られた方法で舞妓になることができましたが、人材が不足している現在では広く門戸が開かれています。志願者は置屋のホームページで問い合わせることができ、また花街を支援する財団などでも問い合わせるや相談にも応じているそうです。